自分なりに生きた証を残すブログ

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ベトナム戦争の流れ概略まとめ・ホーチミンのベトナム戦争証跡博物館を訪問して【ベトナム】

こんにちは。ベトナム南部の都市、ホーチミンでは、

ゲストハウス(兎家さん)に、ほとんど沈没していたのですが、

一箇所だけどうしても行っておきたかった場所があります。

それがここ、ベトナム戦争証跡博物館です。

カンボジアの悲劇の歴史を知った時から、関係の深いベトナム戦争についても

学びたいと感じていました。事前に予習をし、訪問をしてきました。

 

ベトナム戦争の流れまとめ(近代史)

ベトナムはフランス植民地となっていた

●1940年9月 仏印進駐の流れで日本進駐(ドイツがフランスに戦勝。日独伊三国同盟のとき)

●1944年 干ばつ ベトナム餓死者 200万人(ベトナム政府発表)日本にも非がある

●1945年9月2日 日本敗戦後、ホー・チ・ミン率いるベトミンが独立宣言

●1946年12月〜インドシナ戦争。フランスが戻ってきたためベトミンと戦争勃発。ハノイサイゴンなど占拠され、ベトミンはゲリラ戦略に出る。

 ※ベトミンをインドシナ共産党(ソ連中国支援)が率いていた

 ※インドシナ共産党ベトナムラオスカンボジアで活動しており、ベトナム人が指導していた政党

●1954年5月ディエン・ビエン・フー陥落(フランス軍基地)

●1954年7月ジュネーブ協定。休戦となる。北緯17度線にて南北分断。

 ※ベトミンが北ベトナム、フランスとアメリカなどの指示政権が南ベトナムとなる

 ※消耗していたフランスは直後撤退。冷戦の影響あり、以後南ベトナムアメリカが直接支援するようになる

アメリカが内情を細かく把握せず擁立した、ゴ・ジン・ジェム南ベトナムで独裁政治を行う。

ゴ・ジン・ジェムが行った仏教批判などが反感を呼び、南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)が立ち上がる。

●1964年 トンキン湾事件勃発。以後、アメリカが北ベトナム攻撃を始める(事実上のベトナム戦争開戦

 ※北ベトナムホーチミンルート4,000km(ラオスカンボジア経由)でベトコンに支援物資を送っており、ここを爆撃。

 ※ラオスカンボジアにも被害が出る。枯れ葉剤も使用され現在も被害が残る(ダイオキシンの影響)

●1968年1月30日 テト攻勢北ベトナム人民軍および南ベトナム解放戦線が、サイゴンアメリカ大使館を一時占拠。この様子がアメリカ内報道されたことにより、アメリカ内で反戦運動広がる

●1969年7月 アメリカ軍はベトナム撤退始め、1973年に完全撤退

 ※合計アメリカ50万人が派遣される

●1975年4月 サイゴン陥落。この頃、解放戦線は少数になり、実質、支援していた北ベトナム中心なっていた

●1976年 南北統一。ベトナム社会主義国 成立 ハノイが首都へ

社会主義に反対した難民がボート・ピープルとして難民に。日本も神奈川の大和市に施設を作り受け入れ。数万人。

●1986年~ドイモイ政策実施。商売を自由化したことにより現在は急激に経済発展をしている

 

・・・結構時間をかけて予習しました;

どこか間違っている箇所があれば指摘いただけると嬉しいです

 

ベトナム戦争証跡博物館を訪問して 

ベトナム戦争証跡博物館(WAR REMNANTS MUSEUM)は、

ホーチミン市内にあります。入場料は40,000ドン※約200円でした。

(2018年12月時点)

 

外には戦争で使用された戦車や戦闘機が展示されています。

写真を撮っている観光客も多いです。笑顔で戦車と自分を撮っている人もいました。

 

館内には、当時の生々しい写真や文献が展示されています。

戦争の経緯や原因、被害の大きさ、平和を願う人々の声、

戦場カメラマン達のコーナーなどがあります。

一部、日本人カメラマンのコーナーには日本語の説明もありました。

 

反政府運動をした人々への拷問に使用された道具、刑務所や拘置所など、

模型や写真が展示されている箇所もありました。本当に目を背けたくなる生々しさです

 

館内で残酷な歴史を見た後は、

外に展示されている戦車や兵器が本当に怖く感じます・・・

 

さいごに

英語が大して読めないので、予習をしておいて本当に良かったです。

戦争に正義はありません。この悲劇を繰り返してはならない。

この歴史から私たちは学ばなければならない。そう感じました。

m(_ _)m

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